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表ブログでは言えない五十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2018年11月30日 (金) | 編集 |
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夕方、父の処置が終わり、会社へ戻ろうと病院の駐車場へ戻り車へ乗り込んだとき、どこかで見たような人が前を横切った。

同時に向こうも気がついたよう

幼馴染だった。

彼女と最後に会ったのは私が無職の時だから3年前か

後は年賀状のみのお付き合い。

自営業だし、旦那も子どももいる人なので、忙しいんだろうなと、こちらからもあえて連絡は取っていなかった。

なのにこんなところで再会だなんて

確かお父さんが地元の施設に入っていたはずだけど・・・と思ったら、こっちにはお姑さんが入院されているとのこと。


私がここに週の半分以上は通っているのを知っていた彼女も「同じ病院でもなかなか会えないもんだね・・・」と笑っていた。


そんな感じで駐車場で立ち話をしたけれど

実親に加えて、義理親もかぁ

2ケ所に入院していると大変だなぁ

私はまだ1人だけだから、フルタイムで働いているとはいえ、時間的な余裕はまだあるほうなんだろうなと思いながらその場を後にした。


自分の事より子供のこと

それを過ぎれば親のことに時間を使うようになる

父が倒れた時、30代だった私が50代になる。

みんな、親を看る年になっているんだよね。



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2018年11月29日 (木) | 編集 |
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月曜日、会社へは父の容態が良くないことを伝え、午後からもし電話があれば駆けつけないといけない旨を伝えた。

それなのに電話がかかってきたのは午前10時

ビックリして出てみると父の具合が良くないので、今日の13時に来てくださいという。


あぁ今日は処置は出来ないんだな・・・


このまま、なすすべなく看ているしかないのか・・・


そんな思いを抱えたまま、病院に行った。


肺機能の衰えも出ているので、あまり良くないとのこと

だけど今日処置をすることは変わらず、再度リスクと変更の説明といった感じだった。

いや、しなければ悪くなる一方であり、リスクだけが増えて行くから時間はあまりないといったところか


血中酸素が酸素量を最大にしても95%で高止まり

父のような人工呼吸器をつけている人は100%が通常なので、肺が酸素自体を取り込めなくなっているのだろう


自分が選択した事とは言え色々泣けてきた。


人工呼吸器にはじまり、胃ろう、中心静脈、導尿、そして心電図等

体中に色んな線や管が繋がっている父の姿

たぶん人がこういう死に方はしたくないと思っている姿を私は強いている。


尊厳死、安楽死、自然死、延命を経た死

今の日本で認められているもののと認められていないもの

本人との意思が取れない状況でどの時点の方向転換がそれに当たるのか私には判っていない


いや、そんなの建前


だってまだ70代


やっぱり生きていて欲しい


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2018年11月28日 (水) | 編集 |
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金曜の夕方、仕事も終わろうとする時間、スマホが鳴った。

父の病院からなのですぐ出ると「これから来れないか」という。

慌てて早退をし、父の病院へ向かうと、落ち着きを見せつつあった父の顔が未だかつてないほどまん丸に浮腫んでいる。

先生いわく、再び発熱がぶり返し、顔や腕など上半身のみに浮腫みが出ているので、やはりCVポートを撤去することにしたという。

血漿を増やす薬を止め、月曜の昼からの処置をするという。

ただ体内から血栓がついたカテーテルを抜く形になるので、最悪、その血栓が肺や脳に飛ぶ可能性もあるとのこと。

このまま何もしなければ発熱により衰弱するだけなのだし、お任せするしかない。

その場で同意書を書き、処置中に何かあれば連絡してくれるようお願いした。


土曜日は実家へ行き、少し室内を片付け、最悪の事態に備えるか

それともすぐに駆けつけられるようアパートにいて、とりあえず差し迫った試験勉強をするか


どっちにするにしてもどっちも手が付かない

宙ぶらりん

ただただボーっとしていた。


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2018年11月27日 (火) | 編集 |
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喪中はがきを印刷しながら、葉書にかかれている父の名前と享年になんとも言えない気分になっています・・・。

今は弟とは和解していますが、当時の思いが入っています。
ご容赦ください。

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病院から電話があったとき、本当に「ヤバイ」と思った。

だからこそ弟と連絡を取ろうとしたわけだけれど

そして脳裏ではあることが頭に浮かんでいた。


最悪の事態が待ち受けていたとしても今週だけは避けて欲しい

そんな勝手な思い


去年落ちた資格試験の試験日がその週末に迫っていた。


1年間びっちり勉強していたわけではなかったし、受けたとしても落ちることだってある。
それに来年だってチャンスはある。

だけど、衰えた50脳はいっぱいいっぱいで、頭を何処かへぶつけたら、覚えたことがポロリポロリと落ちそうな気がするくらいだった。

ここで棄権をしたら、更に1年間、今の知識を維持し続けなければいけない

それに自信がなくなっていた。


なんとかその日曜はクリアして、試験を受けることは出来たのだけれど、親がこんな状態なのに自分の試験のことを考えるなんてエゴだなぁと


弟からは何も連絡はない


結局日曜になっても何もなかった


日曜くらいは半日あれば来て顔を帰れるだろうに・・・・


そう思ったが、

私も自分の事を優先して考えていたのだし

責める資格は無いのだよなぁとふと思った。


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2018年11月26日 (月) | 編集 |
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父の逝去の記事に対しにたくさんのコメントありがとうございました。
1つ1つ噛みしめながら読ませていただきました。

備忘録を兼ねて、ここからはこの記事の続きになります。

今は弟とは和解していますが、当時の思いが入っています。
ご容赦ください。

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医師からの説明は独りで聞いた。


血液検査の結果
考えられる要因
これからのこと。。。等々


原因もいろいろな要因が絡み合っているのか、コレをすれば良くなるというものでもない。

数値では測ることの出来ない何かもあるのだろう

病気というより、生命機能の低下と言うものに近いのかもしれない


私の見る限り昨日よりはいくぶん浮腫みが減ったようにも感じた。

このまま収まってくれると良いんだけれど・・・


そう思い、帰路に着いた。


アパートに戻り、弟にメールを送ろうかと思ったが、携帯メールで長々と書くのも躊躇われ、何も送らなかった。

仕事が忙しくて来れないのなら、こちらから電話したところで出れないのだろうし

真実、心配しているのなら、仕事が終わり、自分の時間が持てたときに「今日は何を言われたのか」と問うてくるだろう


そう解釈して、スマホを置いた。


日が明けても、弟からは電話の着信もメールもなかった


やっぱり・・・


当たり前すぎてあまり落胆はなかった。


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2018年11月25日 (日) | 編集 |
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長らく、更新が途絶えましたが、その間も応援していただきありがとうございました。

更新していないにも係わらず、毎日、拍手が押されているのに気づいたときはとても嬉しかったです。



表題の通り、父を無事に看取る事が出来ました。

そして姉弟で協力し合い、送り出すことが出来ました。


ハラハラドキドキ

気を緩めれば泣きたくなる


そんな毎日だったし、

少しでも長く生きていて欲しいと思っていたけれど

後から気がつけば父はその日を選んで旅立ったような、

そんな命日となりました。


10年前

私は力のある神様がいると聞き、父の病気平癒の為に本州へ飛んでいました。

会社で定時まで仕事をしてから夜に空港へ走り、

翌日にお参りをしに行っていたのです。


その日からきっかり10年


父は旅立ちました。


たぶんこの10年は貰った10年


地震を機に連絡が取れるようになった弟のことも父の計らいだったのかもしれません。


もう10年だし、そろそろいいだろう

お前たちが仲違いしていると、安心して逝けやしない・・・。


そう思ったのかも


人は偶然と言うかもしれない


だけど、私と弟は偶然でないことを知っています。


お父さん、ありがとね・・・。


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