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表ブログでは言えない五十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2018年12月31日 (月) | 編集 |
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資格試験が受かったら、ひそかに楽しみにしていたことがある。

それは自分へのご褒美

お出かけ用のショルダーバックを買おうかと思っていた。


予算は自分の中ではかなり奮発して1万円~1万5千円くらい

安い合皮はすぐにダメになるのが身に染みて判っていたし、少し良いモノが欲しかったのだけど、日々の生活で精一杯の身としては簡単に買える物でもない。


こんだけ頑張っんだもの、受かればその記念にもなるしと

受験前から色々考えて、ECサイトをぐるぐる回って

サイズや色や使い勝手を想像し、同じもので価格が安いものがないかと探したりして

ピックアップしたものをお気に入りに入れておいたのね。


受かったら、これを買おう

そう決めて、ワクワクしていた。


勉強に飽きたら、お気に入りに入れておいたそれを見たり、他にもっと良いのがないか探したりね。



試験はめでたく合格して、さぁ買おうと思ったら・・・


ことごとく品切れ


あぁクリスマスシーズンを忘れていたよ・・・。


それにしても皆クリスマスと言うだけで、こんな簡単に買えちゃうんだ・・・


今までクリスマスだからと言って特別何かをしてこなかった身としては

世間のそのお金持ちさにちょっとビックリ





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2018年12月30日 (日) | 編集 |
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ピカチュウドーナツのもげた耳部分だけ食べて、次の日おもむろに・・・そのドーナツを手に取ってみたのだけど・・・

PC273081.jpg

ピカチュウ・・・・?(汗)


ってこんな顔だったっけ??


片耳という部分を差し引いてもなんか顔が違う

ほっぺの赤い部分が下過ぎて、別な生き物に見えるのだけど・・・
(一瞬、こぶとりじいさんのこぶにも見えたよ・笑)

正しいピカチュウドーナツ
th.jpg


うん、やっぱり違う


ピカチュウというより、ウサギっぽい・・・。


きっとこれ作った人ってポケモン世代じゃない人だわね

私も違うけどさ


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2018年12月29日 (土) | 編集 |
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ドーナツに目を取られて見落としていたけれと、袋の奥底にもうひとつ袋があった
PC273079.jpg

こちらもお菓子

でもなんか変??

・・・

袋から出してぶったまげた

PC273080.jpg

食べかけのお菓子!!



父の知り合いだったというだけでこの人とは赤の他人です。
直に会ったのはたったの一度

親類、いや親しい友人でも食べかけのお菓子を送るってない

遊びに来た時に「もしよかったら~」って前置きして、あげることはあるかもしれない


でも

宅配で食べかけを送り付けるってありえない


たぶん食べてみて、自分の口に合わなくて、ずーっと家にあったけど捨てるのももったいなくて、ついでに入れてしまえって感じなんだろう


差し迫った賞味期限がそれを物語っている・・・。


お返しする必要ないよね


常識がないというか、礼儀知らずにもほどがある。

それともよっぽど貧乏だと思われているのかな


とりあえず着信拒否したままにしておきますわ

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2018年12月28日 (金) | 編集 |
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帰宅すると玄関のチャイム

宅配便の人だった

差出人は理解不能のこの方・・・。


いや~関わりあいたくない人からなんか届いた

と思って開けて、更にびっくり

中身はミスタードーナツと缶ジュース

こんな荷物初めて見た

だって普通の店でテイクアウトしただろうドーナツが6個入っているのよ。


いつ買ったの??

昨日にしてもゆうパック、しかも通常便で送るもの?

こういうの???


カッチカチですよ、ドーナツ
PC273078.jpg
ピカチュウの耳、もげてるし・・・


貰ったものに対して文句を言うなと父には言われていけれど、さすがに言うわ


仏様に時間が経って冷え冷え乾いてカチカチになったミスタードーナツ

供物にしてもあんまりじゃない??


1個100円の饅頭でいいじゃん

300円程度のクッキーでもいいよ

なんで日持ちもしないミスタードーナツなのか

しかも私は一人暮らしで、このドーナツ食べなきゃならんのよ。

こんな状態のカチカチドーナツ誰かにあげることもできないしね。


私がすぐに受け取れずに数日後に再配達していたらもっと悲惨なことになっていたはず・・。

そういう事も考えていなかったわけ??


喪中はがきを12月の初めに出してからかなり経ち、クリスマスもとうに過ぎた年の瀬の今に何故こんなものを送ってくるのか理解不能


香典代わりにドーナツなんだろう

いや、香典もいらんから

代わりに悔やみの言葉の一つでも言ってくれよ。

あまりに常識外れすぎる。


もう放っておいてほしい

理解不能どころか、こういう人とは付き合いたくない


こんな事されてもお礼をいわなきゃならないんだろうか・・・。



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2018年12月27日 (木) | 編集 |
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社長が入ってくるなり

「白くなったな・・・」と言うので、雪でも降り始めたかと思い、窓の外を見ても雪どころか快晴

何のことはない、

「白くなった」のは私の頭頂部だった・・・(汗)


父の逝去やなにやらで、すっかり美容院に行くタイミングを逃していた。

いつもなら6週ごとに毛染めをしているのに、気がつけばもう8週になる。

そりゃ白いはずだよ・・・


コーヒーゼリーの如く真っ白け

幸い身長があるせいか立っていたらさほど目立たなくても、

座っている姿を見られるとあまりの白髪の多さに驚かれたことが何度あるか


以前は当たり前のように使われていた「アンチエイジング」と言う言葉

今は「ありのまま」を見せる人達も多いと言う。

近藤サトさんや吉川晃司さんなど、白髪を染めずにそのままの姿でTVに映る人も多い


でもね、やっぱり思っちゃう


白髪がカッコよく見える人ってやっぱり美人だったりハンサムなのよねぇ

整った顔かたちがあってこその渋い魅力となるというか


容姿が10人並み以下の私が同じようにしたら途端におばあさんになっちゃうんだもの


さてボーナスも頂いたことだし、身だしなみ程度には小奇麗にしてきますか。


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2018年12月26日 (水) | 編集 |
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人が亡くなると、色んな手続きがある。

取り寄せなければならない書類など初めて知ることも多くある。

それに無人となった家のことや掛かったお金、これからかかるお金のこと

気づかなかったけれど、これもか・・・なんて事も多い。


今までは「自分がしなくては・・・」と言う思いに駆られていたけれど、

弟と色々話せたお陰でお互いに出来ることを話し合い、分担して処理が出来るようになった。


あのまま絶縁だったならば

そうした事も全て1人で行い、

いつまでも「なんで何もしないのか・・」と怒っていたことだろう


姉弟で協力できる体制が作れた事で心理的負担も少なくった。

関係を元に戻せてありがたかった。


相続関係の書類と一緒に弟が実印も送ってきた。

弟の実印があるからと言って自分に有利なことはしないけれど(笑)

こうした貴重品を私に預けてくれるのも信頼が復活したからなんだなぁとしみじみと感じ入ってしまった。


実印とともに近所で買ったというお菓子も同封されていて、

それはうちの近所でも買えるお菓子だったけれど、その心遣いが嬉しくて

「ありがとう、お父さんに供えてから戴くね」

と返信した。


互いの転職経験から相手の業界裏話もわかる事もあり、父のこと以外の雑談も出来るようになった。


二人で話せて笑えることって何年ぶりだろう


ほんと「相手に言葉で伝える」って大切なんだなぁとつくづく思う


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2018年12月25日 (火) | 編集 |
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弟が東京に帰って暫くたったころ

携帯に着信があった。


折り返して掛けるとアパートの更新があるので保証人になってくれないかと言う


今まで保証人は父名義だった。

はて、今までの更新はどうしていたのだろう・・と思うと、印鑑を2つ用意してそのまま父にしていたらしい(苦笑)

さすがに亡くなればそれは通用しないと思い、私に掛けてきたのだろう


今までだったら「自分の都合の時ばかりに・・・」と腹が立ったのだろうが、今はさほどそう思わなくなった。


色々頑張ってくれたし、何より父が亡くなった今、こうして助け合えるのは弟しかいない

その意識が強いからなのだろうか

それにこの先、何かあればお互い様なのだし


ただ片付けられない汚部屋の住人なので、そこだけはちょっぴり釘を刺し、了承した。

そして実家は電話も解約してあるのだし、勤め先への緊急時連絡先の届出も私に変更するようにと言ったら、そこは抜けていたらしく「わかった」と

そしてお姉ちゃんは今自分が死んでも、貴方が書類等に困らないように整理しているとも伝えた。


迷惑を掛けるのと助け合うのは違うから


距離的にも離れているのだし、すぐに行き来は出来ない

だから相手の負担軽減を考えつつ、助け合って行こうと言って電話を切った


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2018年12月24日 (月) | 編集 |
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父が亡くなり「死」というものがより一層自分に近づいた感がする。

弟と和解したとはいえ、必要以上の迷惑は掛けたくない。


父が突然として倒れたとき、色々大変だったことが思い出されて

これからは自分の死後を考えて書類を整理して行かないとなぁと思っている。


保険Aに関しての死亡受け取りは伯母名義にしてあることを通夜の席で従兄弟嫁と弟に伝えた。

他の保険は父名義だったので、これらは全て弟へと名義変更をしようと思っている。


1円たりとも渡したくない


そう考えでいたあの頃が嘘の様(笑)


持っている通帳、キャッシュカード、保有しているクレジットカードの名前、保険証券、ネット銀行の暗証番号


きちんと整理して、ファイリングをし、

そのファイルがあれば弟が判るようにして置こうと思っている。


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2018年12月23日 (日) | 編集 |
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父の容態が悪くなり、バタバタしていた時は直属の上司にだけは詳細を話していた。


急に休めば抱えている案件の作業が中途半端になる。

中途半端に引き継げばミスを誘発してしまう。

1つのミスが会社へ大きな損害を与えるかもしれない今の仕事では連携が欠かせないからだ。


言われたのが「変わらないね」と言う言葉。


たった一人の親が死にそうなのに、いつもと変わらずしゃべり、時には笑い、普通どおりにしている私を見て思ったそうだ。


よくプライベートで何かがあれば「元気ないけど、どうしたの?」と声を掛けたくなるほど態度に出てしまう人もいるけれど、私にはそうした姿が微塵もなかったらしい・・・。


「態度に出ないから助かる」と言われたけれど


いいんだか、悪いんだか


冷たい娘と思われたのかなぁと思いつつ、10年も1人で見ていればやはり自然と覚悟と言うものも出来ていたのかもしれない

いや、具合が悪いのが当たり前すぎて、何処かが人として麻痺していたのかも・・・。


でも父は人前で取り乱す姿は嫌いだったから、きっと私を褒めてくれると思う


そう思うことにしよう・・・。


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2018年12月22日 (土) | 編集 |
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浄土真宗は故人を供養するという概念がないので、故人の為に食べ物を供えなくていいらしいけれど、他の方がお参りに来られるとそうしたものも供えてくれるし、10年間何も口にすることが出来なかった闘病をしていたので不憫でつい食べ物を供えてしまう。


晩御飯に餃子を焼けば、それを供え

半額になったパックの握り寿司を買ってくれば

「お父さん、お寿司好きだったものね」

と取り分けて供えている。


元気だった頃、父とは何でも半分こにして食べていた。


りんごや梨を剥けば半分ずつにし

ぶどうは茎から切って半分こ

切り分けて食べるお菓子なども半分ずつ


「はい、お父さん」

と父の前に置いて、まるであの頃に戻ったよう


今もクッキーや饅頭などの菓子とミカン、ぶどうなどが遺影の前に置かれている。

と言っても、現実には父が食べるはずもなく、

賞味期限を気にしつつ、私が食べるハメになる。


遺影の前に何もないのも寂しいし

上げたら上げたで食べねばならない。


下げた仏壇菓子や果物をあげれる人もいず、せっせと1人で食べている。


少しだけ痩せた体が元に戻りつつある。

いや、これからは増え続ける一方なのかな


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2018年12月21日 (金) | 編集 |
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そうそう、ボーナス戴きました♪

開けてみてビックリ

年々上がってます、金額(汗)


もちろん会社としての業績がよかったというのもあるし、私だけじゃなく皆があがっているんだけれど


ほんとここに入れて良かったなぁとしみじみ・・・。


前のトコは業績が上がろうと、年功があがろうと関係なく、低い金額のままだったからねぇ


頑張れば報われる


そういう風土って大切だと思う


今の社長は会社を良くしよう、従業員の環境を良くしようって気持ちが凄く伝わる人

何処の経営者もそういう思いはあるんだろうけれど、それを実現する人ってそうそういない。


だから凄い人だと思う


私なんて会社の歯車どころか、カケラに過ぎないし、

日々いたらなくて、落ち込むことが多いけれど、これ以上失望させないように頑張らねば


とりあえず、全額貯金

今回は頑張って小銭も全て貯金(笑)


ボーナスは無かった

そう思おう


父のことはひと段落したし、これからは自分の老後資金を貯めなきゃね


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2018年12月20日 (木) | 編集 |
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最近のお弁当はこんな感じ
PB293068.jpg

下にレタスが敷き詰めてあるけれど、ご飯はありません。

父が亡くなってから食欲がない日が多かったせいか、通常に戻ってからも胃が小さいままのようです。

糖質制限している訳ではないし、会社で戴くお菓子や仏前に供え下げたお菓子なども食べなきゃならないのて糖質はそこそこ取ってます。

ちゃんと空腹感もあるし、しっかり食べています。
ただいっぺんに食べられる量が少なくなったという感じ

晩御飯は温かいお蕎麦とヨーグルトなんてこともあるし
半額になったパックの握り寿司という事もある。

体が資本

というか、本当にひとりぽっちになったので、ともすればいい加減になりそうだけれど、健康で居続けるためにも食生活だけは意識して気を付けないと・・・改めて思っています。


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2018年12月19日 (水) | 編集 |
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そして2回目の仕事中に電話

今度は父の知人。

仕事中だと伝えると、夜7時に過ぎに再度掛けるという


「あぁ・・・こちらは良識がある人だわ・・・」

なんと思っていたのが甘かった。


夜再びかかってきた電話

喪中ハガキをみて掛けてきたのだから、てっきり悔やみの言葉の1つでも出てくるかと思いきや、間違って電話を掛けてきたと思うくらいに全く関係ない話、私には全く知らない人の話しを延々と繰り返す。


何のことはない宗教関係の話だった


こういうのに出くわすと

「だから宗教やっている人は変な人が多い」と思われるんだよなーと思ってしまう。


喪中ハガキみたなら判るよね。

まだ四十九日も済んでないの

ましてや父と知り合いだったなら、宗教の話の前に悔やみの言葉の一つでもでるもんじゃないのかね???


一般常識の無さにも呆れるが、押し付けるような話にうんざりしてしまう。


なんで家族を亡くした遺族を疲れさせ、不快な思いをさせるのか

知らない人の話より、父の思い出の一つでも聞きたかったよ

ああなると信仰者と言うより、自分のエゴの塊だよね

神様の教えを履き違えている。


ほんとああいう人は私には理解不能



私は信仰者こそ、他の人の模範となるべき行動や言動をすべきだと思っているが現実に出くわす人達はそれとは真逆な人ばかり


結局電話中、一度も父のことには触れなかった・・・。


父には悪いけれど速攻でその電話番号を着信拒否にし、仏前の父に線香を灯しながら、さっそく愚痴ってしまった・・・。


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2018年12月18日 (火) | 編集 |
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仕事中、スマホが鳴った。

見てみるとかつての上司


用件は聞くまでもなく判っていた。

私からの喪中ハガキが届いたのだ。


電話に出て、『仕事中』と伝えたものの、意に介さず、いろいろと聞いてくる。


席をはずし、別部屋で小声で話したけれど

あぁこの人も年を取ったなぁと感じてしまった。


平日の真昼間、仕事をしている人に緊急性のないことで電話を掛けてくることが普通なのかな

本人は気遣っていると思い込んでいそうだけど、あくまで自分中心の考えで相手に対する配慮とか、そういう事がわからなくなっているのだろう


とにかく早く詳細を聞きたい


ただそれだけ


気にかけてもらえることはありがたいと思いつつ、こちらの都合を省みない状況に申し訳ないが冷めた気持ちにもなってしまった。


きっと、あちらの親の時、私がお香典を出しているからそれが脳裏から離れなくなったのだろう


「香典は借り物」

そんな思いなのかな


お参りをしたいと言われたが、父と面識があるわけで無し、まして家族葬

お気は使わぬ様にと伝えたが、果たして伝わっているのかどうか



父の関係者がお参りをしたいと言って来たならば、それはありがたく来てもらおうと思っている。

が、父と面識もない私の関係者がただの義理でお参りにくるのには何だか抵抗がある。


父だって「誰?」と言う感じだろう


亡くなって四十九日も納骨もまだの中、普通に仕事もフルタイムでして

父の関係者のみならず、父とは無縁な人達まで気を使わなきゃならないと思うと何だか心に余裕がない


こう思うのは私の心が狭いからなのだろうか・・・。


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2018年12月17日 (月) | 編集 |
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似たような時期に肉親を亡くされた方からもコメントを戴きました。

ウチは和解という道がとれたけれど、人が亡くなるというのは環境の変化とともに人の心も変えてしまうんだなぁと改めて感じています。

お辛い日々を送っているその方の未来に心穏やかな日々が戻ってくることを願ってやみません


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弟が帰り、無人となる実家

それを機に父をアパートへ連れてきた。

納骨するお寺は実家の町のお寺だけど、その日まで寒々とした実家に置きっぱなしになんてとてもじゃないけれど出来やしない


簡単な祭壇に仏具店で買ってきた小さな仏具と遺影とともに毎日お線香をあげている。

仏壇は引き継ぐ人もいないし、弟も買うつもりもないらしい

49日を過ぎて納骨が済んでも、仏壇は置かずにこじんまりとこれらでお線香をあげるつもり。


毎朝、自分の食事の前に神棚へ手を合わせるのだけど、それに加えて父に熱いお茶とや水、そしてお線香をあげる事が日課に加わった。


父が亡くなった時はまだ暖かったのに、遅かった初雪も降り、いつの間にか水道の凍結を心配する気温となっている。

年前はまだ凍結の心配はしなくていいかなーと思う反面

火の気のない家の冷え込みを考えると、やっぱり心配で様子を見がてらやっぱり週末は実家へ向かう。


父のものはあらかた片付けたけれれど、やっぱりまだ捨てられないものが多くあり

ただ見ては元に仕舞うだけ


さすがに現役だった時の給料明細や辞令、退職時の書類などはさすがにいいかなーとシュレッダーにかけたが、10年も経つのに回復期リハビリの記録が捨てられない。

たった半年のリハビリだったけれど、動かない体で必死に頑張った記録



今はやることがいっぱいあって寂しさはまだ感じていないし、

ともすればまだ病院にいる気がしてしまうけれど

こういうのを見るとやっぱり目頭が熱くなる。



日課になっていた病院通いが無くなって、家にいる時間が長いなー感じているのにだからといって、何かをする気もない。


平日の夜は病院と勉強

土曜は実家

日曜はアパートで作り置き


この生活リズムが崩れて、自分をもてあましている自分がいる。


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2018年12月16日 (日) | 編集 |
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父の容体の変化で一時、バッシングを避けるためブログ村ランキングから外れていたのですが、突然いなくなったことでご心配をおかけしていたようです。

また再開したことで「旧友と再会したよう」と評して下さり、とても嬉しかったです。

ブログはどうしても一方的な発信になりがちなので、こうした思いや反応に触れると私も心がほっこりします。

皆さまのお返事再開までしばらくかかると思いますが、コメントは有難く読ませていただいております。

これからもどうぞ宜しくお願いします。


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多めに持っていった風呂敷にそれぞれ骨箱を包み、また数時間掛けて実家へ帰る。


この帰り道、何処かで事故を起こし、この車が大炎上したらニュースになるね・・と笑った。

運転者、同乗者の他に大量の人骨が出るんだから

そりゃ全国ニュースだよね、と


私は全てのお骨がどういう人なのかを知っていたが、弟はあまり判っていなかったらしい


運転しながら父から聞いていたご先祖のことを語り伝えた

そしてたぶんお父さんは私じゃなく、男の貴方にこういう話をしたかったんだと思うよ・・・と言う言葉も加えて


運転していて顔は見なかったが、きちんと聞いているのが判った。

父が亡くなり、自分が最後の直系だと感じたのかもしれない


私ももっと詳しく聞いておけば良かったよ、お父さん

いろいろ聞いたのに、忘れてしまっている部分も多いから、私が伝えられたのはごく一部なんだもの


私や弟が結婚していて、子供がいればこうしたことを次世代に伝えられたのに、ウチはこのまま途絶えてしまうんだなぁとしゃべりながら寂しく思った。


結婚し、子供をもつ

それだけが人生の幸せではない


そうは思いつつ、この焦燥感はなんとも言いがたい



弟は気疲れしたのか、私が運転する隣でいびきをかいて寝ていた。

行きも帰りも私が運転で、いつもならのんきに寝ている姿にイライラしただろうが、不思議と心は穏やかだった。


何もしない弟と勝手に決めていたのは私だった

助けてとも言わず、自分で自分に壁を作り、

全て自分がするしかない、

自分がせねばと思い込んでいた。


実家へ戻ったのは夜8時だったか

お寺には次の日に持っていくことにしていた。


トランクに入っていた骨箱を全て家に運び込むと

5世代12人の揃い踏み

そのうち10人はお骨だったけれど(笑)


晩御飯の豚丼を取り分け供えて、しみじみと見入ってしまった



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2018年12月15日 (土) | 編集 |
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せっかくあちらへ行くので、施設に入った伯母のところによる。

私は毎年逢ってはいるが、弟は10年ぶりかもしれない。

父より10も年上で、車椅子になっていることもあり、弟が会える機会もそうそうないだろうと


ただ父のことは伯母には伏せてある

いや、一生言うつもりはない

そこは従兄弟とも打合せ済み


父の容態は変わっていない

大丈夫だよ


そういい続ける


なので弟にも聞かれたら「会社の設立記念で休みがとれた」とでも言ってごまかす様にと伝えた。

認知症が多少あるものの、食欲もあり、しっかり話す

以前はきざみ食だったのが、少し荒めのきざみ食になり、ご飯もおかゆから普通食になっていたところをみると、伯母もこの暮らしになれ落ち着いたのだろう。


父の分まで長生きして欲しい


そう思い、お寺に向かった。


親戚の家に寄り、打合せ通り、弟達は出て行った。

葬儀屋さんからは「離壇でお金を要求よるお寺なんて普通はない」とは言われたが、あの葬儀後のお金うんぬん話が思い出され、後からお金の話をされても嫌なのである程度包んで若住職に渡すことにしていた。


1時間ほどで帰ってくるかなと思っていたらずいぶんと帰ってこなく、やはり何かあったのかと心配したが、遅くなった原因を聞いて驚いた。


納骨堂には明治の頃から先祖が皆、眠っていたという


高祖母、曾祖父母、祖父母、父の実母、幼くして亡くなった父の兄姉妹・・・。

てっきり古いお骨は供養され合祀されていると思っていたが、そのまま居たらしい


一番古い高祖母は没年から逆算すると1850年生まれだった


明治じゃなくて江戸時代だよ(汗)


ご維新を乗り越え、未開の地にやって来た女はさぞ強かっただろう


父から話には聞いていたけれど、初のご対面だった


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2018年12月14日 (金) | 編集 |
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お寺さんへのコメントで

「酷いお坊さんだと棺桶の中にお金を入れろと言ってくるらしい
あの世に行くときに必要だからと言うがお金を燃やすなんてもったいない」

とのコメントを戴きましたが、

それは六道銭ではないかなー??と

地域や宗派にもよるんでしょうが、三途の川の渡し賃という事でお棺の中にお金を入れて一緒に燃やすことってありますよ。
(昨今の火葬場事情により、そうしたことを禁止されているところもあります)
金額にもよるんでしょうが、その為なら酷いお寺ではないと思います

ウチの父には入れませんでしたが(亡くなったと同時に成仏しているという考えなので)

昔に参列したお葬式では小銭を入れてました。

なんだか懐かしいなって思いました

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弟がいる間に菩提寺の納骨堂を引き払う手続きをした。


私が引き続き体調を崩している風を装ってくれ、連絡等は全て弟がしてくれた。


納骨堂のお骨を引き上げるに際して、新しいお寺からは「元のお寺から1体ずつの収蔵証明書をだしてもらうように」と言われた。

が、その旨を菩提寺に伝えたところ、そうした雛形がないからその日に出せないとかなんとか言っていたらしい。


全てにおいて呆れてしまう・・・。


今までの檀家で離れた人がいなかったにしろ、ちょっと調べればわかりそうなもの。


本山でもいいし、近くの系列のお寺でもいい

あるいは墓地を持っている役場だっていいだろう

いや、今の時代、ネットで検索すればそんな書類だってヒットするに違いない。


こんな感じだと直接お寺へいったら、何かごねられたりするんだろうか・・・


少し前に放送していた法外な離檀料を求められたというTV番組が思い出され、嫌な予感がし、念のため、その近くに住む親戚に同席をお願いした。


何かがあれば言った言わないの世界になる

証人にもなるし、何より顔見知りがいれば、あちらへの抑止力にもなるだろう


「あのお寺は離檀するときにこんな事を要求した」


狭い田舎でそう他者に知られるのはお寺にとっても不利益なはずだから


とりあえず、お寺同士知らない中ではないのだし、正式な書類等はお寺の間でやりとりしてもらい、引き上げる日にちを決め、私は仕事へ復帰した。


すると弟からメールが入った。


読んでびっくり


住職が事故にあったという


幸い命には別条はないものの、その日は同席できないので息子の若住職が対応するとのこと


一瞬、離檀を妨害する嫌がらせかと思ったが、そうではなく真実のよう


絶妙なタイミングに


心の中で「罰があたったんじゃ・・・・・」


そう思った。


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2018年12月13日 (木) | 編集 |
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弟が2週間の休みをとってくれたお陰で、かなり助かった。


私は1週間の休みだったが、1週間はあっという間

仮通夜、通夜、葬儀だけで3日を使い、その後の平日は相続の関係の書類を聞いて廻ったり、お礼に廻ったり

そんな事をしている間に初七日がやってくる。


父が倒れてからかなり片付けたほうだと思ったが、やはり亡くなるまでは手を付けたくないのも多くあった。


服や靴、そして空いたタンスやもう使わない布団など

大型ゴミとして処理しなければならないものもあり、私1人では動かすことも出来ないものもある。


私が火葬場で倒れたとき、親族から今までの私の孤軍奮闘を聞かされていたのもあったのだろう

私が職場へ復帰してから、弟はそういったものの片付けをしてくれ、尚且つ、大量の写真の中から父だとわかるものをスマホに取り込み、クラウドに共有アルバムとして姉弟で見られるようにしてくれた。


セピア色の写真には若かりし頃の父の姿

見たことのない写真も多くあり、

父の青春がそこにあった。


結構ハンサムだったよね、お父さん

なんであんなハゲチャビンになったのかな?(笑)


絶縁だったままならばそうした会話も出来なかった。


浄土真宗は仏壇にお膳や夜のご飯は供えなくて言いというけれど、10年も何も食べられなかったんだもの・・・と好きだったお刺身やジンギスカンまであげて、思い出話をしながら久しぶりに親子3人で食卓を囲んだ。



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2018年12月12日 (水) | 編集 |
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同じような悩み、苦しみを持っている方からコメントを戴きました。

「近くに住んていたら・・・」と思いやりと労りの言葉を戴き、本当に嬉しかったです。

ネガティブブログ(笑)なので批判も多いですが、こうした励ましのコメントを戴くたびに続けていて良かったなぁと思っています。


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繰り上げ法要の前に住職へお布施とお車代を渡した。

その場で菩提寺から地元のお寺へ移りたいことを伝えた。


あんな葬儀にならなかったら、私の体力が続くまで菩提寺に通うつもりだった

が、もうこの先、お世話になりたくない


その思いが強かった。


地元へ移るいいきっかけ、ふんぎりがついた。


繰り上げ法要が終わった後、住職から喪主の方と話がしたいと呼ばれた。

喪主は弟なので、弟に行かせ、私は親族の見送りに回った。


住職は喪主が私だと勘違いしているのか、しきりに私を呼べと弟に言ったらしい
(弟が喪主としてのあいさつしたにも関わらず、無視したのは住職だ)

あまりに長引く話し合いなので、よほど「あんなデタラメで酷い葬式をしておいて」と言いに行こうかと思ったが、葬儀屋さんから弟が矢面に立っているのでお姉さんは出ない方がいいと止められた。

さんざん、お金の事とか、お姉さんが死んだら無縁仏にする気か、とか言われたらしいが、弟が

「姉は火葬場で倒れたので休ませている、自分が喪主だから自分と話してほしい」

そう言い、かばってくれたそうだ。


離檀、そして納骨堂からの先祖代々の遺骨の移動の話は全て弟がしてくれた。


今まで弟に頼ることをせずに「何もしない」とぷりぷり怒っていた自分を反省した。


地元のお寺で父の49日法要と先祖の合祀をし、納骨堂を新たに買う事にした。


私か弟か


どちらか先に死んでもここに眠ろう


残った方がある程度、葬儀と合祀供養代としてお金を預け、死んだらそのとおりにしてもらう

そして納骨堂も返せば、周りに面倒をかけることもないだろう


人生の最後までの道筋作れたのは幸いだった。


仮祭壇をつくり、訪問者も帰りようやく一息ついたころ、鼻血をだして、ようやく自分の体の限界に気づき、早く床に就いた。



だけどその夜は幸せな気持ちで眠れにつけた。


50年近く生きてきて、このまま死んでも悔いがないと思えるほど穏やかな気持ちになったのは初めてだった。


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2018年12月11日 (火) | 編集 |
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数人で通夜振るまいをした。

親族といえ、滅多に合わないし、何より血縁が薄い我が家では親族というより遠縁にあたる人たちがほとんど

それでも昔の懐かしい話、私が知らない話などもして

父の前にはビールやら焼酎、熱いお茶など供えて賑やかで楽しい振る舞いになった。

高齢もあり、遠方から来てくれた親族は日が変わる頃に床に着き、私と弟と従兄弟嫁で線香の番をした。


従兄弟嫁を介し、いろんな話をした。


弟は私のしてきた事は知らなかったし

私も弟の思いを知らなかった。



頼るという事をしなかった私と

やりたいように思い、任せきりだった弟


お互いに勝手な思いだけで、自分の思いを相手に伝えるという努力が薄かったのだ。


昨晩、さっさと寝た弟だったが、そういう行動も喪主として通夜の晩は徹夜を意識してとのことだったのだろう

ちょっとずつ相手の立場を考えればわかることが見えるようになった。


窯に入る父の最期、

父の姿をもう見れなくなると思った瞬間

何かが切れた


お父さん、お父さんと叫びながら、私は泣きながら過呼吸を起こし崩れた。


3日間の徹夜と緊張の糸が切れたのか、火葬場でそのまま倒れてしまった。


隣で腕を抱え支えてくれたのは弟だった。


白いお骨となった父と対面した時、10年間の寝たきり生活は骨粗鬆症も起こしていたらしく、ほんとうに小さくなっていた


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2018年12月10日 (月) | 編集 |
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こんなにご近所さんに助けられ、家族葬だけど思い出に残る良い葬儀になるはずだった


いや、思い出はなる


葬儀自体が酷すぎて・・・


北海道の一般的な葬儀のお通夜では住職の読経と説教があり、そこで故人の人となりを語ったり、御仏の教えにそった説法がある。

あくまで私が出席した葬儀の中での主観だけれど、今まで参列した葬儀の中で一番最低な葬儀が自分の父の葬儀だった・・・


明治のころから檀家だったので遠方でも菩提寺から住職を招いた。

いや、正確には遠いので、菩提寺を通して地元の同じ宗派のお寺を紹介してもらうか、遠方でも住職がくるか住職に聞いた。

「自分が行く」と言ったのは菩提寺だった。


家族葬用の会場を予約していたのを「葬儀屋のいいなりになるな、そこは断りなさい」と指示をされ、勝手に地元のお寺を使う事を決められた。

家族葬なのに地元のお寺と菩提寺の2人の僧侶がいる葬儀


菩提寺のお金に対する執着というか、がめつさにはげんなりしてしまった。

葬儀屋さんとも話し、相場のお布施を2人分の他にお車代も包もうとしたが、その金額では足りないといわれ、その他もあれこれと注文をつけられた。


今まで親切だったのはこの時を待ち構えていたかのような

まるでお金を回収する時が来たといわんばかりの印象


だけどお金はまだいい

父の最期で人生最大の締めくくりの時

お金が多少かかってもそこは納得していた。


だけど、お寺が忙しいなら枕経もしなくていいといわれ、自宅では一度もお経を上げてもらえず、住職が葬儀会場のお寺に到着したのが通夜開始30分前、そして喪主である弟が挨拶すれば無視をした。


あげくのはてに笑いものになるようなひどい説法


父が、そして倒れてからは私が毎年お寺に通い、話を聞いていたはずなのにここまで創作した話をするのかと呆れてしまった。


仮に大勢の檀家の1人ゆえ覚えていなかったら、親族に聞けばいい。


いや、取るに足らないことや、同伴者の食事や挙句の果てには自分の履く足袋まで用意するようにと何度も電話を掛けてくるくらいなら、亡くなった父のことを聞けばいいのだ。


僧侶として恥ずかしくないのか


デタラメで尚且つ故人を貶めるように語る住職を真実を知る親戚一同ポカンとして聞くしかなかった。

従兄弟たちからは「あれは違うよね」と小声で言われる始末


いくら浄土真宗が亡くなったと同時に成仏していると言われていてもあんまりではないか


父をきちんと送り出す


それが自分に課した10年間だった。


その為に毎年数時間かけて菩提寺に通い、あちらに住む親戚付き合いをし、休日は実家の手入れをし、花を植え、父が暮らしていた当時を維持してきた。


父がしてきたように、父を送り出す

その一心


そのすべて台無しにされた気持ちだった。


たぶん肉親だけなら、

「嘘ばかり言うな、もういい帰ってくれ!!」と叫んでいただろう


数珠を握りしめ、必死に耐えた。


参列者を見送った後、悔しくて泣いた。


こんな思いをするなら最初から地元のお寺だけにすればよかった、

菩提寺だからと言ってお寺を立てるべきではなかった、と。


住職の顔すら二度と見たくないと思った。


いや豪勢な刺繍の入った袈裟が視界に入るだけで、これらのお金も檀家からのお金かと思えムカムカしていた。


「坊主憎けれゃ袈裟まで憎い」


ほんとその通りだと思った。

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2018年12月09日 (日) | 編集 |
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死に目に会えなかった弟はせめて一晩は父と過ごしたかろうと、納棺を次の日に伸ばしてもらっていたのだけれど、当の本人は昨晩は殆ど寝ていないので今晩は早く寝るといい、線香の番もせず部屋へ引き籠ってしまった・・・。

なので二晩続けて私が父の傍で線香の番した。

2時間ほど横になり、うとうととしただろうか

渦巻線香も灯しているので徹夜しなくても問題はないのはずなのに、昨日から一睡もしていなくても、ほとんど眠ることができない。

自分の布団で寝ればよいのだろうが、だからといって、父を一人にする気にもなれない。


昨晩全く寝ていないのはこっちのほうだ


と、思ったけれど、もう諦めた。

会う気があるならもっと早くに、いや生きているうちに会いに来れたはずなのだし


それでもお向かいさんに頼まれて、お棺の中に煙草や菓子を供えたら、知らぬ間に鮭とばと羊羹とワンカップ焼酎が入っていた。

私がお棺に入れるのを見て、弟が自分で買ってきて入れたよう。


甘いの、しょっぱいの、そして焼酎

どれも父が好きだったもの


あぁ弟は知らないだけなのだ。


悼む気持ちはあるけれど、無知ゆえにどうするか知らないだけ


だから死に目に会えなかったのだって、本当に仕事の都合だったのだろう

「まだそこまで・・・」という思いもあったのかもしれないし


弟の行動を読み解いていくほどに今までわだかまっていたものが少しずつほぐれていった。


湯灌の時に出棺は玄関から棺が出せないので、ベランダから出すという話になった。


葬儀屋さんに「ここの鍵、どう閉めるんですか?」と言われ、振り向くとベランダの鍵が壊れたのか抑えないと閉まらなくなっていた。


家主が亡くなると家も後を追うのかしら・・・そう思っていたら、出棺自体も前の葬儀が遅れたせいか、葬儀場へ向かう時間が当初の3時半から大幅に遅れ、4時半近くになった。

父の従妹や私の従兄弟たちも時間が空いたおかげで、会場へ直行せずに一度我が家に寄ってくれ、父の顔を見てお線香をあげてくれた。

ご近所さんとは違い、彼らは入院中の父に何度か会っているけれど、穏やかな父の顔に驚いていた。


父の従妹は初めて我が家へ来たそうで、花や野菜を育てていたり、植木を刈り込んだ庭を見渡し、「これってしま子ちゃん一人でしたの」と驚いていた。


そして「きっとお父さん、私たちにこの家を見せたかったんだね・・・」と


当初の予定の3時半になるとご近所の人たちが父の最期を見送ろうと外に出てくるのが見えた。

遅れているし、寒いので中に入ってくださいとお願いしたが、誰一人として家に戻ることなく、ただただ葬儀社の車を待っていてくれた。


棺は従兄弟と弟、そしてご近所さんが皆で運んでくれた。

ベランダから出て、父の大好きだった庭を横切り、玄関前に出てきた。


そうだったね。

庭仕事に疲れたら、ここに座り煙草をくゆらせ、庭を見渡すのが好きだったものね。


父の大好きだったバラは私が枯らしてしまったし、花の季節は過ぎていたけれど、かろうじて咲き残っていたピンクと赤白のダリアが父を見送った。


20人近くのご近所さん見送られ、父は自宅を後にした。


ありがたかった、

こんなに思われていたなんて、嬉しくて涙がでそうだった。

これか父が作った人間関係


家族葬にしたばかりに最期の見送りを外でしてもらう形になってごめんなさい


不思議な事にベランダの鍵は普通にかかるように戻っていた。

葬儀の車が遅れたことと言い、久しぶりに帰ってきた自宅を出るのを父が名残惜しんだのかもしれないなーと思いながら、私も葬儀会場へと向かった


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2018年12月08日 (土) | 編集 |
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眠れないまま夜が明けた。

父はまだほのかに温かみがあった

亡くなったばかりの時は目も口も開いたままだったのに、一晩経つと目も口も閉じ、不思議なくらいに穏やかな寝顔になっていて、あぁウチに帰ってきた事が判ったんだなぁと思えた。

朝8時を待って、お寺に電話をし、8時半にご近所の奥さんに父が亡くなったこと、口座が凍結される前にお金を下ろしてきたいので留守番をお願いした。

すぐさま斜め向かいの奥さんとお向かいの奥さんがやってきた。


「しま子ちゃん、どうして電話してくれなかったの」


そう言ってお向かいさんは泣いた。


ご近所さんの中にある父は10年前の姿のはずだけれど、

顔を見た皆が、10年前とほとんど変わらない言う。

本当に本当に穏やかな寝顔に変わっていた。


親戚も殆どいないし、居ても遠方

葬儀に参列する人たちもあまりいないだろうと家族葬にすることを決めた。

派手な事は嫌いだった父だし、それで許してくれるはず


決めなければならないこと、しなければならないことが山のようにある。


弟は朝一に変更したはずなのに何時に着くとも何もないので問い合わせるとやっぱり14時過ぎに来るという


喪主である弟の意向もあるし、来るまで待とうと思っていたが、時間はそれを許さなかった。

私が動かねば何も決まらない。

それに生活の拠点ではなくなった家にはお茶もコーヒーもお茶菓子も何もない

炊飯器もないからご飯も炊けず、仏前のご飯はサ〇ウのご飯をコンビニで温めてもらう始末


お寺からのくどいくらいに何度も長い電話

葬儀屋さんとの打ち合わせ

遺影に使う写真

差し当ってのお金の用意

会場と日程を決めてからは各所への連絡

そしてご近所さんでお参りに来る人の対応等


弟が来るまでご近所さんが留守を見てくれていたが、気が付いたら何も口にしていていないほど忙しかった


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2018年12月07日 (金) | 編集 |
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父が亡くなる前は、もし父が亡くなったら自分がどれほど取り乱すのか想像できなかった。


臨終の際にはTVドラマのように泣き叫ぶのだろうか?

それとも足がガクガクで歩けなくなるのだろうか

そうしたら車で実家へいくなんて無理だなぁ


そんな風に考えていたのだけれど、意外と冷静に対応していたように思う。


遠方のことを考え、病院から従兄弟たちに亡くなった事を伝え、日程が決まったら改めて連絡すると電話を掛けた。

職場にも同じように連絡をし、1週間お休みを頂く旨を伝えた。

もちろん弟にも。


それでもあちこち連絡をしながら、肝心要の葬儀屋さんに連絡をすることをすっかり忘れ、看護師さんから言われるまで気がつかなかったところを見るとやっぱり動揺していたんだと思う。

処置がほぼ終わってから葬儀屋に連絡した為、父を実家へ連れて帰るのに1時間ほどロスがでたが、その間、アパートに戻って喪服や着替えなど実家で過ごす為の準備をしたり、食べそこねた豚汁を冷蔵庫へ入れたり、洗いものをしたりして少し片づけをして、コンビニでコーヒーを買って再び病院へ向かった。

ほどなく葬儀屋さんが来たので、看護師さんにお礼を言い、父を乗せた車と併走するように実家へ向かった。

驚くほどいつもと変わらずに運転していた。

10年前に父が倒れた時や、その後に父が吐しゃ物を詰まらせ窒息し、呼び出された時はアクセルを踏む足がガクガクしたのを覚えているが、まったくそうした感覚は無い。


日中なら鍵を預けたお向かいさんに連絡しようと思ったが、夜も更けていたのでしなかった。

真っ暗の中、ブレーカーを入れ、出しっぱなしになっていたものを片付けてから押し入れから布団をだして、父を寝かせた。

葬儀屋さんもいたし、結構ひとりでもなんとかなるものだ。


おかえりなさい、お父さん

やっとお家に帰ってこれたよ。

今晩は一緒に寝ようね。


そう頬をなでるとまだまだ温かく、肌の色も生前と変わらない。


正直、死んだようには思えなかった。

だけどどんなにさすっても話しかけても動いてはくれない。


薄明りの電灯の中、蝋燭とお線香を灯しながら、添い寝をした。


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2018年12月06日 (木) | 編集 |
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「会わせたい人がいるなら・・・」

そう伝えられてほぼ1週間が経った。

「調整します」とメールが着たきり、弟は来なかった。


そしてその日

病院から朝110あった血圧が60まで下がったと連絡があり、慌てて病院へ駆けつける。

弟へ危篤だと連絡すると、ようやく明日の14時にこちらへ来るという

必死にお祈りをしながら、父へ呼びかけた。


「お父さん、明日くるよ、頑張ろうね」


時折息をしているのに人工呼吸器の波が反応しなくなることがあった。


これはヤバイ・・・

しかもかなりヤバイ


看護士さんの様子からも予断を許さないのがよく判った。

熱は相変わらずあるが、血圧が低いので解熱剤も使えない。


夜はそのまま病院へ泊ろうかと思ったが、血圧が85まで回復し、看護師さんからも今晩はなんとかもちそうと言われ、一旦アパートへ戻ることにした。

食事をして風呂でも入ろうと、ガスに火をつけた途端、再び携帯がなった。


「すぐ来てください」


会社の制服を脱ぎ、私服に着替えて慌てて病院へ戻る。

病院を出る前に90あった血中酸素が50にまで下がっていた。

徐々に数値が下がっていく。

今晩はこのまま泊まった方がいいと言われたが、

それから30分

最後に大きく息をして、父は10年の長い闘病生活に終わりを告げた。


その瞬間をたった一人で看取った。


送られたデータでナースステーションから看護師たちが飛んできた。

人工呼吸器のお陰か、まだかすかに心臓は動いていた。

でも父が自ら呼吸をすることはなかった。


「頑張ったね、ありがとうね」


涙は出たが、さほど取り乱すこともなく、自然とその言葉が出ていた。


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2018年12月05日 (水) | 編集 |
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父の容態が悪くなってからは1人でバタバタしていた。

仕事が終わってからは面会時間ギリギリまで病室に詰め、帰宅する日々


最悪の日に備えて、週末は実家へ行き、布団などを出しておこうか

いや、何かがあれば病院に来るだけでも小一時間


まず死に目に会えることが無くなるのだから、よほど安定するまではこちらのアパートに居た方がいいだろう

とか、思考が錯綜する。


一応、職場へは父の容態が良くないので、かなりの頻度で就業中でも外出、早退などで迷惑を掛けるだろうことを伝えた。

そんな時、言われてしまうのが

「しま子さん、ご兄弟は?」

と言う言葉


本当に困ってしまった。


居るのに、連絡が取れない

取れても、さっぱりらちがあかない

これだけの状態になっているのに、顔すら見に来ない


「いるんですけど、遠方なので私がみるしかないのです」


そう答えるだけで精一杯。


どんな家族だと思われているのだろう


とても恥ずかしかった・・・。


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2018年12月03日 (月) | 編集 |
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弟にメールしても丸一日たっても返事はない。

家族が重体でも、彼の生活はさほど変わらないらしい。

いや、家族と言う概念もないのかもしれない。


こちらは保証人など必要なときだけ連絡する相手

彼にとってはそう言うものなのだろうか



「それで後悔はないのですね」と再度、夜にメールをした。

すると、

「仕事が忙しくて返信できなかった、調整して行きます」と返事があったが、その後はなしのつぶて


肉親だけれど何を考えているのか判らない。


毎日、退勤後はいそいそと病院へ向かう私に職場の人が労わりの言葉とともに差し入れをしてくれた。


他人の方がよほど親身

他人の方がよほど心配してくれている


身内からはとうてい与えられない思いやりを他人から受けて思わず涙しそうになった。


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2018年12月03日 (月) | 編集 |
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会わせたい人がいるなら・・・


そう言われて、頭に浮かぶのは真っ先に浮かんだのは弟だった


父の実姉である伯母は車椅子で施設に入っているし、従兄弟も農作業の繁忙期。

わざわざ遠方から顔を見に来るとは思えない。

来てもらえばかえって申し訳ないぐらいだけれど、急の連絡もなんなので、容態があまり良くないことだけは従兄弟嫁に伝えておいた。


弟に父がかなり良くないことをメールで伝えた。

もちろん「会わせたい人がいるなら早めに」と言われたことも含めてだ。


翌朝になっても返信はなかった。

がっかりするやら腹立たしいやら、なんとも言えない感情が心を占める。


就業後は面会時間ギリギリまで父に付き添うようになった。

かといって出来ることは何もない。

皮膚の免疫も落ちているのでマッサージすら出来ないのだから。


そっと手を沿え、時折父に声を掛ける。

後はモニターに映る血中酸素量や呼吸回数、脈拍数をじっと眺めている。

数値のちょっとの上がり下がりに一喜一憂し、祈るだけ


父の心臓が何処まで持つのか・・・。


スマホが離せなくなった。


スマホが鳴ることにこんなに恐怖を覚えたこともなかった。



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2018年12月02日 (日) | 編集 |
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無事に処置が終わって、浮腫みもすくなくなり、このまま快方へ向かうと思っていた1週間後

先生からまたも呼び出し

その日から父は今までの大部屋から詰め所横の個室へ移っていた。
(俗に言う危ない人の部屋)


私がショックを受けないようにとの配慮なのか

それとも専門的なことは家族には言わないようにしているのか

抜去したカテーテルを培養したところ、あるものが出たことを告げられた。

医療ど素人の私でも聞いたことがある名前

あまりにありきたりでその時はその意味を深く考えていなかった。


後でスマホで検索して奈落の底へ突き落とされた。



医療関係者の論文だろう、そのページには抗生剤が効かない、難治性とあった。


まったく熱が引かないのはそのせいだったのか


「良くなることはない」


そう告げられていた本当の意味をやっと理解した。


まさかこんなに早くにその時を迎えようとしているとは


看護婦さんからは「あわせたい人がいるなら早めに・・・」


そう言われた


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