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表ブログでは言えない五十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2017年12月15日 (金) | 編集 |
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療養病棟が減床され、介護施設、あるいは自宅介護化の風潮が強くなっている。
膨らみ続ける医療費を考えると、仕方が無い時代の流れなのかもしれない。

一方、病気による末期治療も選択の多様化を見せ始めている。
昔と違い、ガン=死の病気 と言うわけではないけれど、やはり発見や治療が後手に廻ると命を落とす病気であることは間違いない。
病気の種類を問わず積極的な治療あるいは緩和ケア、本人がどう生きたいか、どう最期の時を迎えたいかを選べるのは良いことだと思う。
そして緩和ケアを選ぶ人の中には住み慣れた自宅を望む人も少なくは無い

ウチの場合、働かなくては食べていけないので必然的に病院のお世話になったけれど、自宅で看取りをした人と話したことがある。

明るくて社交的だったご主人にガンが見つかったときにはすでに手遅れ。余命を宣告されるほどだった。
葬儀の席で、皆が「大変でしたでしょう、でも住み慣れた自宅で看取ってもらえたのは幸せな最期ですね」という。

でも幸せだったのは逝った本人で、はたして家族はどうだったのだろうと。

男と言うのは大概が見栄っ張りだ。
他人の前では痛がったり、苦しがったりする姿を見せはしない。
往診の医師や看護婦、あるいはヘルパーさんには「いい人」であろうとする。

でもその代わり、家族に対してはとことん我が侭だ。
遠慮も無いから、指示でも守らないし、制止も聞かない。
挙句の果てに暴言も吐いたりする。

暴言だって本心ではないだろうし、
何より辛いのは病と戦っている本人だ
それは間違いないのだけれど、支え続ける家族もさぞかし辛かろうと

入院なら看護婦や介護士に任せて一人になれる時間もある。
だけど自宅だと24時間休まる時間は無い。
そして病人からの我が侭にも付き合わなければならない。

排泄が思うように出来なくなればなお更だ。

介護士やヘルパーなどに下の世話になどなりたくないのだろう。そうした要求は配偶者ばかりになってしまう。
これが小柄の人ならまだいいけれど、夫が大柄だったり、逆に妻が小柄だったりすると、体位を変えるだけでも大変だろう。

立派に看取った奥様だったが
「夫の希望通りに自宅で看取れた。
だけど誰かが自宅で看取りを考えていると言ったら薦めはしないわ」
と言った言葉に全てが現れているようにも思う。

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