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表ブログでは言えない五十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2018年12月10日 (月) | 編集 |
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こんなにご近所さんに助けられ、家族葬だけど思い出に残る良い葬儀になるはずだった


いや、思い出はなる


葬儀自体が酷すぎて・・・


北海道の一般的な葬儀のお通夜では住職の読経と説教があり、そこで故人の人となりを語ったり、御仏の教えにそった説法がある。

あくまで私が出席した葬儀の中での主観だけれど、今まで参列した葬儀の中で一番最低な葬儀が自分の父の葬儀だった・・・


明治のころから檀家だったので遠方でも菩提寺から住職を招いた。

いや、正確には遠いので、菩提寺を通して地元の同じ宗派のお寺を紹介してもらうか、遠方でも住職がくるか住職に聞いた。

「自分が行く」と言ったのは菩提寺だった。


家族葬用の会場を予約していたのを「葬儀屋のいいなりになるな、そこは断りなさい」と指示をされ、勝手に地元のお寺を使う事を決められた。

家族葬なのに地元のお寺と菩提寺の2人の僧侶がいる葬儀


菩提寺のお金に対する執着というか、がめつさにはげんなりしてしまった。

葬儀屋さんとも話し、相場のお布施を2人分の他にお車代も包もうとしたが、その金額では足りないといわれ、その他もあれこれと注文をつけられた。


今まで親切だったのはこの時を待ち構えていたかのような

まるでお金を回収する時が来たといわんばかりの印象


だけどお金はまだいい

父の最期で人生最大の締めくくりの時

お金が多少かかってもそこは納得していた。


だけど、お寺が忙しいなら枕経もしなくていいといわれ、自宅では一度もお経を上げてもらえず、住職が葬儀会場のお寺に到着したのが通夜開始30分前、そして喪主である弟が挨拶すれば無視をした。


あげくのはてに笑いものになるようなひどい説法


父が、そして倒れてからは私が毎年お寺に通い、話を聞いていたはずなのにここまで創作した話をするのかと呆れてしまった。


仮に大勢の檀家の1人ゆえ覚えていなかったら、親族に聞けばいい。


いや、取るに足らないことや、同伴者の食事や挙句の果てには自分の履く足袋まで用意するようにと何度も電話を掛けてくるくらいなら、亡くなった父のことを聞けばいいのだ。


僧侶として恥ずかしくないのか


デタラメで尚且つ故人を貶めるように語る住職を真実を知る親戚一同ポカンとして聞くしかなかった。

従兄弟たちからは「あれは違うよね」と小声で言われる始末


いくら浄土真宗が亡くなったと同時に成仏していると言われていてもあんまりではないか


父をきちんと送り出す


それが自分に課した10年間だった。


その為に毎年数時間かけて菩提寺に通い、あちらに住む親戚付き合いをし、休日は実家の手入れをし、花を植え、父が暮らしていた当時を維持してきた。


父がしてきたように、父を送り出す

その一心


そのすべて台無しにされた気持ちだった。


たぶん肉親だけなら、

「嘘ばかり言うな、もういい帰ってくれ!!」と叫んでいただろう


数珠を握りしめ、必死に耐えた。


参列者を見送った後、悔しくて泣いた。


こんな思いをするなら最初から地元のお寺だけにすればよかった、

菩提寺だからと言ってお寺を立てるべきではなかった、と。


住職の顔すら二度と見たくないと思った。


いや豪勢な刺繍の入った袈裟が視界に入るだけで、これらのお金も檀家からのお金かと思えムカムカしていた。


「坊主憎けれゃ袈裟まで憎い」


ほんとその通りだと思った。

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