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表ブログでは言えない五十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2019年05月15日 (水) | 編集 |



ネッ友さんのご家族が大病をされてそうで、つきそわれているネッ友さんも大変そうだと知った。

父が倒れた当時思い出した。

今までの日常が想像もしていなかった日に変わった瞬間

あの時、定時まで働いた後、毎日かかさず父の元へ通っていた
片道4~50分
自分の食事など忘れるほどだった。

毎日会社でもご近所でも父の容体を聞かれる。

脳幹がやられ、回復しないことが判っているのに、執拗に「お父さんどう?」「大丈夫だよ」「きっと良くなるよ、治るよ」「少しは良くなった?」と聞かれる日々は励ましと判りつつも私の心を蝕みそうになっていた。


そんな時、朝、出勤すると私の机の上にはチョコレートが載っていて、何も言わず、聞かず、そのさりげない思いやりがとても嬉しかった記憶がある。


私の好きなエッセイに「その日の天使」というものがある

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その日の天使

死んでしまった ジム・モスリンの、

なんの詞だったのかは 忘れてしまったのだが、

そこにThe day’s divinity, the day’s angel” という言葉が出てくる。


英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、

ぼくは こういう風に 受けとめている。


「その日の神性、その日の天使」


大笑いされるような誤訳であっても、別に かまいはしない。


一人の人間の一日には、必ず一人、

「その日の天使」がついている。


その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。


少女であったり、子供であったり、

酔っ払いであったり、警察官であったり、

生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。


心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。


逆に、絶望的な気分に おちている時には、

この天使が一日に一人だけ さしつかわされていることに、よく気づく。


こんな事がないだろうか。


暗い気持ちになって、冗談でも"今自殺したら"などと 考えている時に、

とんでもない友人から電話が かかってくる。

あるいは、

ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。


それは その日の天使なのである。



夜更けの 人気が失せたビル街を、

その日、僕は ほとんど よろけるように 歩いていた。

体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。

家の中も もめている。

それでいて 明日までに テレビのコントを、十本書かなければならない。

腐った泥のようになって歩いている、

その時に、そいつは聞こえてきた。


「♪おっいも~っ、 おっいもっ、

       ふっかふっか  おっいもっ、 まつやのおっいもっ♪

買ってちょうだい、 食べてちょうだい、

あなたが選んだ 憩いのパートナー まつやの イモッ♪」


道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。

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あの時、チョコを置いてくれた人が私にとってその日の天使だった。


そんな10年前の記憶がよみがえり、毎日一生懸命なネッ友さんに、レターパックで少しだけ北海道のお菓子を送らせてもらった


彼女にとって、私がその日の天使となれますように・・・


そう願いながら、投かんした。






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